15万年前の貝から始まるビーズの歴史・貴石・ファイアンス・ガラスによるビーズ
さまざまな部材に穴をあけ、糸などでつないだものをビーズといいます。
ビーズは、太古の昔から人々に愛され、さまざまな時代にさまざまな文化の中で使われてきました。
今回は現代のガラスビーズにつながるビーズの歴史をかんたんにご紹介します。
- 人類は15万年以上も前の時代からビーズを作っていた
- ビーズの様々な材料(貝、卵の殻、種などの植物、哺乳類の歯、鱗、石)
- 古代エジプトでは半貴石、焼き物、ガラスを使ってビーズが作られた
- 古代メソポタミアではゴールド、半貴石などでビーズが作られた
- 古代インダス文明ではカーネリアン(紅玉髄)、ステアタイト(凍石)、ガラスなどでビーズが作られた
- 中国ではファイアンス、ガラス、玉石などでビーズがつくられた
- 日本最古のガラスは弥生時代の勾玉と小玉
- 世界各地でのガラスの発展(宙吹き、切り子、ラスター、エナメル)
- ベネチアのムラーノ島でのガラスの発展(エナメル、クリスタル、レースガラス、ミッレフィオーリ)
- ボヘミアガラスの発展(カリガラス、グラヴィール彫刻、色ガラス)
- 19世紀には工業化により大量のガラスビーズが作られはじめた
- 現代においてビーズの生産が盛んな地域や国
- ガラス資源は有限・循環型社会における再生ビーズ
- さいごに
人類は15万年以上も前の時代からビーズを作っていた
出典:Steven L. Kuhn、アリゾナ大学提供 モロッコ西部の洞窟(artnet news)
人類最古のビーズは、何年前につくられたのでしょうか。
まずは、現在わかっている最古のビーズについてご紹介します。
世界最古の貝殻ビーズはモロッコ西部の砂漠の洞窟で発見されている
出典:Abdeljalil Bouzougar撮影アリゾナ大学提供 15 万年前の貝ビーズ(artnet news)
2014年〜2018年の4年間、モロッコ西部の砂漠にあるビズモウン洞窟で発掘がおこなわれ、33個の貝のビーズがみつかりました。
ウランの放射年代測定の結果、142,000年〜150,000年前のものだとわかりました。
ネアンデルタール人もまだ生きていた時代です。
2023年4月現在、最古のビーズとされている貝ビーズは、15万年前につくられたようです。
イスラエルやアルジェリアの遺跡からも古い貝ビーズが発見されている
出典:マリアン ヴァンハーレン,フランチェスコ デリコ提供 スフールで発掘された貝ビーズ(New Scientist)
2006年までの発掘では、100,000年~135,000年前の貝のビーズがみつかっていました。
✔ 10万年前までの貝ビーズ発見場所例
・ モロッコのコントラバンディエル洞窟
・ モロッコのエル・ムナスラ洞窟
・ イスラエルのスフール洞窟
・ アルジェリアのオウエド・デジェバナ遺跡
参考記事:Science
そのすこし前までは、人類最古のビーズはおよそ75,000年前だと考えられていました。
だんだん古い貝ビーズが発見されてきてる。
きっと、研究や発掘がすすむにつれて、もっと古いビーズがみつかるのではないかと思います。
もしかしたら人は、人類誕生の当初からビーズを愛用していたのかもしれません。
ビーズの様々な材料(貝、卵の殻、種などの植物、哺乳類の歯、鱗、石)
出典:国立民族学博物館 ブラジル ピラルクの白いウロコと種子の壁飾り(渋谷区民ニュース)
貝は何万年も土の中で残りますが、ほかの材料ではどうでしょう。
4万年前に東アフリカでダチョウの卵殻を利用したビーズが使われました。
少なくとも加工のしやすい卵のカラなどの石灰質の材料はビーズとして使われていたようです。
古くからビーズになったものが、種子や果実、花、葉、木材などの植物です。
現代に残されていないだけであって、古代の人々は、本当はさまざまな材料でビーズを作っていたのではないでしょうか。
高度なビーズ加工の痕跡は古代文明の遺物でたくさんみつかっている
高度なビーズ加工の痕跡は、古代文明に至るまで待つことになります。
古代文明というと、エジプト、メソポタミア、インダス、中国の四大文明がよく挙げられます。
これから、四大文明のビーズにまつわる歴史を紐解いていきましょう。
古代エジプトでは半貴石、焼き物、ガラスを使ってビーズが作られた
ビーズの歴史のなかでも、古代エジプトの美しいビーズワークは目をうばわれます。
古代エジプトのビーズの歴史をすこしご紹介します。
古代エジプトのトルコ石やラピスラズリなどの半貴石によるビーズ
出典:中王国時代の王女の墓から出土したペクトラル(メトロポリタン美術館)
ペクトラル:ゴールド、カーネリアン、ラピスラズリ、ターコイズ、ガーネット
ネックレス:ゴールド、カーネリアン、ラピスラズリ、ターコイズ、グリーンフェルスパー
古代エジプトではまず、トルコ石やラピスラズリなどの半貴石を用いてビーズが作られはじめました。
半貴石は硬さや希少性などがあまりない石のこと。
古代エジプトのファイアンスと呼ばれる焼き物で作られたビーズ
出典:中王国時代の管理人の墓礼拝堂から出土したファイアンスのカバ(メトロポリタン美術館)
紀元前4500年頃には、貴石よりも手に入れやすい石英粉を漆喰でねって焼き、さまざまな形が作られるようになりました。
これらはファイアンスと呼ばれ、ビーズもファイアンスで作られるようになりました。
出典:中王国時代の墓から出土した隼の頭と葉の襟飾り(メトロポリタン美術館)
当初の隼の頭:金メッキの石膏
ビーズ:ファイアンス、ゴールド、カーネリアン、ターコイズ
古代エジプトのガラスで作られたビーズ
出典:エジプト最古級のガラスビーズ(日本分析化学会)
紀元前2000年代までには、ガラスの融点を下げる方法がみつかり、ガラスを溶かして加工できるようになりました。
紀元前1550年ごろにはエジプトで粘土の型に流し込んで器を作るコア法によって最初のガラスの器が作られ、特にエジプトでは様々な技法の作品が作製され、西アジアへ製法が広まりました。
出典:KGPress
ガラスの作り方が広まると、手間のかかるファイアンスはガラスに取って代わられました。
古代メソポタミアではゴールド、半貴石などでビーズが作られた
出典:約紀元前2600~2500年の前期王朝Ⅲaのゴールドとラピスラズリのビーズネックレス(メトロポリタン美術館)
出典:約紀元前2600~2500年の前期王朝Ⅲaのゴールドとラピスラズリとカーネリアンのビーズ(メトロポリタン美術館)
メソポタミアは交易で栄えた文明で、半貴石がたくさん輸入されてビーズにも使われました。
出典:約紀元前18~17世紀の旧バビロニアのゴールドのネックレスペンダントとビーズ(メトロポリタン美術館)
紀元前1750年頃、支配者ハンムラビがメソポタミア地域をほぼ征服し、バビロンを中心とする、メソポタミアの南部地域をバビロニアと呼ぶようになりました。
出典:約紀元前150年のパルティアのストーン、シェル、フリットのビーズのネックレス(メトロポリタン美術館)
遊牧イラン人により、紀元前3世紀の中頃から紀元後3世紀初めまでの約5百年にわたり、イラン高原は支配され、パルティア帝国などが築かれました。
古代インダス文明ではカーネリアン(紅玉髄)、ステアタイト(凍石)、ガラスなどでビーズが作られた
次に、古代インダス文明のビーズをご紹介します。
古代インダス文明においてもさまざまな素材でビーズがつくられました。
ここでは生産量が多く特徴的なカーネリアンとステアタイト、そしてガラスをとりあげます。
古代インダスのカーネリアンによるビーズ
出典:インダス文明王朝初期のビーズ(メトロポリタン美術館)
紀元前2500年頃から1500年頃のインダス文明においてはカーネリアン(紅玉髄)のビーズがさかんに作られていました。
古代インダス文明では、紅玉髄製ビーズの製造が盛んに行われ、樽型ビーズをはじめとしてメソポタミアにも輸出された。高い加工技術を要するマイクロビーズも作られていた。
出典:Wikipedia
白い模様があるビーズはエッチドカーネリアンなどと呼ばれています。
植物から採取したナトロンと呼ばれる天然ソーダでカーネリアン(紅玉随)の表面に文様を描き、300℃~400℃の低温で焼成することにより文様を白化させカーネリアンに定着させます。
出典:旅するとんぼ玉
赤のカーネリアンに白い模様をつけたビーズは、味わいがありますね。
古代インダスのステアタイト(凍石)によるビーズ
出典:凍石製ビーズ(HARAPPA.com)
ステアタイト(凍石)を焼いて白く固い石にしたビーズもたくさん作られていました。
凍石は自然の状態では爪でも削れるほど軟らかな、褐色や灰色、黒色をなす石材であるが、加熱することによって硬質かつ白色に変化する。
とても小さいものが作られました。
古代インダスのガラスビーズ
出典:タキシラ博物館 紀元前100年から300年の出土品(Taxila Museum)
ガラスビーズの生産は、紀元前300年から200年あたりで盛んになり、直径5mm以下の小さなビーズがたくさん作られました。
中国ではファイアンス、ガラス、玉石などでビーズがつくられた
古代中国では青銅などの金属や陶磁器をつかったもの作りがさかんだったので、ガラス技術の発展はすこし遅れました。
ビーズの出土数もすくなめです。
中国最古のガラスでいうと、河南省洛陽で紀元前11世紀~8世紀ごろのトンボ玉がみつかっています。
古代中国のファイアンスによるビーズ
出典:東周王朝(紀元前770年~紀元前256年)セラミックコア上のガラスペーストされたアイビーズ(貼眼玉)(メトロポリタン美術館)
初期のガラスは、ファイアンスと呼ばれる陶磁器製の素地にガラスで模様をつけたものでした。
参考:KANZABURO
古代中国のガラスによるビーズ
出典:東周王朝(紀元前770年~紀元前256年)のガラスのアイビーズ(貼眼玉)(メトロポリタン美術館)
輸入されたガラス製品は、晩春から秋の時期(紀元前5世紀初頭) に、多色のアイビーズの形で初めて中国に到達しました。これらの輸入は、土着のガラスビーズの生産に弾みをつけました。
出典:ガラスの歴史(Wikipedia)(自動翻訳)
ちなみに、アイビーズは魔除けの意味があり、ローマングラスなどと同じ西アジア地域から入ってきたものとされます。
戦国玉の模様については、上の2つの写真のように丸が重なる貼眼玉とよばれるもののほか、7つの点があしらわれた七星玉とよばれるものがメジャーです。
古代中国の玉石によるペンダントやビーズ
出典:殷王朝(紀元前1600~1046年頃)のネフライトのとぐろを巻く龍の形をしたペンダント(メトロポリタン美術館)
中国はさまざまな玉石がたくさんとれる国です。
出典:19世紀初頭のジェイドのネックレス(メトロポリタン美術館)
ジェダイト・ネフライト(翡翠)のほかに、グリーンジェイド(岫玉)、アゲート(瑪瑙)、ホーナンジェイド(密玉)、ラピスラズリ(青金石)、マカライト(孔雀石)、コーラル(珊瑚)、クリスタル(水晶)、ローズクォーツ(芙蓉石)、ペトリファイドウッド(木化石)などもよく使われています。
中国やチベットの珊瑚(コーラル・イミテーションコーラル)によるビーズ
出典:19世紀のチベットの銀、翡翠のネックレス(メトロポリタン美術館)
地中海やバルト海などより交易品としてヒマラヤ地域にもたらされたコーラル(珊瑚)の赤いビーズは、チベタンコーラルなどとよばれ、装飾品としてよく使われています。
他にもアンバー(琥珀)やターコイズ(トルコ石)などがもたらされました。
出典:19世紀清王朝 (1644–1911)晚期の琥珀、翡翠、イミテーションコーラルの朝珠ネックレス(メトロポリタン美術館)
清王朝の間、高位の文民および軍の役人は、標準的な制服レガリアであるビーズのネックレスを身に着けていました。
日本最古のガラスは弥生時代の勾玉と小玉
出典:須玖岡本遺跡から出土した弥生時代中期のガラスの勾玉と小玉(春日市)
ちなみに、日本では紀元前100年ごろにガラスの作り方が伝わりました。
福岡県の須玖五反田遺跡などにガラス工房があったことがわかっています。
日本も陶磁器の発展によりガラスの導入は遅れました。
世界各地でのガラスの発展(宙吹き、切り子、ラスター、エナメル)
ガラスビーズの発展の様子をみるために、ガラスの発展をすこし追ってみましょう。
以下、Wikipediaから抜粋、要約したガラスづくりの流れをご紹介します。
宙吹きの技法によるローマガラス
出典:ローマガラス(Wikipedia)
紀元前1世紀後半に、エジプトのアレクサンドリアで、吹きガラスの技法が発明されました。
これがローマ帝国全域に伝わり、ローマガラスと呼ばれるガラス器が大量に生産され、東アジアにまで伝わりました。
丸い切り子が特徴的なササンガラス
出典:6世紀頃のササンガラス 正倉院宝物「白瑠璃碗」(奈良国立博物館)
ガラスの技法はシルクロードを通ってササン朝ペルシアに伝わり、ササンガラスが作られるようになります。
ガラスを吹いて碗を作り、切り子を施すスタイルが多く採用されました。
ラスター・ステインが特徴的なイスラムガラス
出典:10 世紀後半から 11 世紀初頭のガラスの器(メトロポリタン美術館)
ササンガラスの技法を引き継いだのがイスラムガラスです。
イスラムガラスと言うと、ラスター法とよばれる彩色が特徴的です。
金属微粉末を酢などの酸に溶解させて作成した金属酸化物の溶液をガラスに塗布し焼結することで、ガラス表面に美しい金属光沢をつくる。
出典:イスラムガラス(Wikipedia)
赤いラスター彩色は金が使われています。
金を溶かすことができる「王水」を扱う技術があったことがうかがえます。
王水って、昔学校で習った気が。
エナメル彩と金彩をほどこしたイスラムガラス
出典:13世紀後半のエナメルと金メッキのボトル(メトロポリタン美術館)
12世紀頃からはじまったエナメル彩と金彩で美しく飾られたガラスも印象的です。
ベネチアのムラーノ島でのガラスの発展(エナメル、クリスタル、レースガラス、ミッレフィオーリ)
イスラムガラスの技法を受け継いで発展したのが、イタリアのベネチアンガラスでした。
ベネチア共和国では原材料や燃料がとれませんでした。
それらの豊富な国々との取引のさなかに技術がもれることをふせぐため、職人とその家族はムラーノ島へ強制移住させられました。
1291年には全てのグラス工房のムラーノ島への強制移住を決定。(略)この政策には、火事を防ぐためという名目もあった。
出典:ヴェネツィアン・グラス(Wikipedia)
島にとじこめられた職人の切磋琢磨により、色ガラス、エナメル彩色、レースグラス、ミッレフィオーリなど、多様なガラスビーズにつながる技術が花開きました。
ベネチアンガラス・ムラーノのエナメル彩色のガラス
出典:16世紀初頭のエナメルと金箔のシチュラ(メトロポリタン美術館)
イスラムガラスを受け継いで、ベネチアガラスでも13世紀末ごろからエナメルで絵付けされたガラスがつくられました。
ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」はムラーノ島から連れ出された12人の職人が作成したと言われている。 この時代に一番力を注いだ技法がエナメル装飾で、貴族達は華麗な絵付けの施されたガラス製品を競うように買い求め、エナメル絵付けの施されたガラス製品を持つことがひとつの社会的ステータスとなった。
出典:ヴェネツィアン・グラス(Wikipedia)
ベネチアンガラス・ムラーノのクリスタルのガラス
出典:17世紀のクリスタルのワイングラス(メトロポリタン美術館)
15世紀半ばには、無色透明のクリスタルと呼ばれるガラスがつくられはじめました。
15世紀には酸化鉛と酸化マンガンの添加により屈折率の高いクリスタルガラスを完成させた。
出典:ガラス(Wikipedia)
これは他国には無い技術であり、王侯貴族の間で高く取引された(その精巧な技術による薄さは毒を入れると割れるという噂も手伝って王侯貴族の間で取引されたとも言われる)。
出典:ヴェネツィアン・グラス(Wikipedia)
出典:18世紀のクリスタルの枝付き燭台のペア(メトロポリタン美術館)
ムラーノ島では、ガラスの素材だけでなく、成形技術も研ぎ澄まされていきました。
ベネチアンガラス・ムラーノのアイスガラス
出典:17世紀のアイスガラスのボウル(メトロポリタン美術館)
成形前のガラスの塊を冷却水につけて模様を生じさせるアイス・ガラス(ア・ギアッチョ)は16世紀につくられはじめました。
あえて熱衝撃によりヒビを入れて、ガラスの表面が割れた氷のように見える装飾を施します。その後、窯の中で静かに加熱し冷めたところで、ガラス彫刻家によって研磨にかけられます。
ベネチアンガラス・ムラーノのラッティモによるレースガラス
出典:17世紀前半のレースガラスによるワイングラスの欠片(メトロポリタン美術館)
16世紀前半に、色ガラスを棒状にのばして何本か束ねてねじり、レースのような模様がつくられはじめました。
出典:16世紀のラッティモのプレート(メトロポリタン美術館)
そして、16世紀半ばに、中国の明朝の磁器を模して、ラッティモとよばれる不透明な白いガラスがつくられはじめました。
レースガラスにはこのラッティモの白がよく使われます。
ベネチアンガラス・ムラーノのカルセドニーとアベンチュリンのガラス
出典:17 ~ 18 世紀のカルセドニーとアベンチュリンのボトル(メトロポリタン美術館)
ガラス:カルセドニー、アベンチュリン
マウントとストッパー:ブロンズ
メノウ、カルセドニー、オニキス、マラカイト、ラピスラズリなどの石を模して、いくつかの種類のガラスを混ぜ合わせるカルセドニーの技法が15世紀後半に発明されました。
また、アベンチュリンというキラキラ光るクォーツを模して、ガラスの塊の中に銅を溶かしこんだアベンチュリンの技法が17世紀前半に発明されました。
とあるガラス職人がガラスを溶かしていたところ、間違って銅くずが混ざってしまいました。ガラスが冷えて固まった結果、溶けたはずの銅が箔となり混ざり、所々がキラキラと光るガラスができたのだとか。
出典:OnTrip JAL
ベネチアンガラス・ムラーノのミッレフィオーリのガラス
出典:約1880年のミッレフィオーリの足付きボウル(メトロポリタン美術館)
ムラーノのガラスといえば、花がよせ集まったミッレフィオーリをイメージされる方も多いでしょう。
ムリーナという金太郎飴状のガラスを一定の長さにカットして並べ、透明なガラスでコーティングします。
15世紀頃までムラーノ島がこの技法で世界をリードしていましたが、一時期途絶え、19世紀になると再生産されるようになりました。
出典:18世紀あたりのミッレフィオーリのビーズ 33個(メトロポリタン美術館)
ビーズにするとかわいい。
アフリカはベネチアのビーズ(トレードビーズ)の最大の消費者
出典:18世紀頃にベネチアで製造されたトレードビーズミックス(Amazon)
アフリカ諸国ではビーズの需要が高く、各民族に好まれるデザインでビーズがつくられ、ヨーロッパから輸出されました。
出典:アフリカ ドゴン族 ガラスと宝貝のビーズ(Amazon)
奴隷貿易の際に貿易品としてアフリカ大陸に渡ったビーズはトレードビーズと呼ばれる。
出典:ビーズ(Wikipedia)
ボヘミアガラスの発展(カリガラス、グラヴィール彫刻、色ガラス)
出典:1843年のゴブレット(メトロポリタン美術館)
ボヘミアでは、ムラーノ島からきた職人によりガラスがつくられました。
硬質なカリガラスの開発により、ガラス彫刻の技術が発展しました。
1660年代から1670年代にかけての期間には、ボヘミアでクリスタッロ(ヴェネツィアで開発された無色の薄いソーダガラス)よりもグラヴィール彫刻に適した、輝度の高い硬質のカリガラスが開発された。
出典:ボヘミアガラス(Wikipedia)
また、以前からボヘミアではステンドグラスが作られており、色ガラスの開発もさかんに行われました。
1832年頃にはフリードリッヒ・エガーマン(ペドジフ・エゲルマン)によって、かつてステンドグラスに使われていたステイニング(酸化銀、酸化銅を使ったガラスの着色法)が再発明される。
出典:ボヘミアガラス(Wikipedia)
19世紀には工業化により大量のガラスビーズが作られはじめた
19世紀に入ると、アメリカでガラス製造の工業化が進み、ビーズの生産方法も変化していきました。
ガラス製のビーズが大量に生産され、ビーズを用いた装飾品が一般的になっていきました。
20世紀に入ると、ビーズを用いたファッションが流行し、ビーズが一気に広く普及しました。
現代においてビーズの生産が盛んな地域や国
現在、ビーズの生産がさかんな地域は日本、ベネチア(ベネチアンビーズ)、チェコ(チェコビーズ・ボヘミアンビーズ)、インド(インドビーズ)などが挙げられます。
日本は、TOHOビーズ、MIYUKIビーズ、松野グラスビーズの3社がグラスビーズを輸出していますが、その話はまた次の機会に。
日本のビーズは高品質で扱いやすい。
現在のベネチアで生産されるベネチアンビーズ
ベネチアでは今でもさまざまなガラスビーズを生産しています。
本場ムラーノ島のビーズはとても高いので、なかなか手が出ませんが、その他のベネチアエリアでつくられたビーズは求めやすいものもあります。
現代のチェコで生産されるチェコビーズ・ボヘミアンビーズ
チェコ共和国は、ボヘミアガラスの生まれた地であり、ヨーロッパで最も古いビーズの産地とされていて、15世紀からビーズの生産が盛んに行われています。
チェコビーズは、高品質で豊富な色彩が特徴で、様々な形状のビーズが作られています。
現代のインドで生産されるインドビーズ
現在、インドでは美しいカラフルなガラスビーズが作られており、世界中から人気があります。
表面に金銀のガラスで装飾を施したり、突起をつけたりするデザインは、他のアジア諸国のビーズにも影響を与えています。
出典:TOKO-BEADS
現代のエジプトのASFOUR社で生産されるビーズ
現在、クリスタルガラスの3大メーカーは「スワロフスキー」「プレシオサ」「アスフォー」です。
エジプトで1961年にしたアスフォー社は、一番安価で、シャンデリアなどにもたくさん使われています。
ガラス資源は有限・循環型社会における再生ビーズ
過去のガラス製造は、原料の採取に加えて、周囲の森を焼きつくして作られてきました。
中世末期のガラスは森林ガラスなどと呼ばれました。
これからは、ガラス製品をリサイクルするフェーズに入っていくと思います。
そんなとき、上の写真のような可愛らしいビーズが誕生するのであれば、応援したくなりますよね。
ガーナでは、ごみ捨て場のガラス瓶などが再生ビーズの原料になっている。
さいごに
ビーズの歴史はいかがでしたでしょうか。
登場するさまざまな素材のビーズ、ガラスビーズ、いずれも素敵でした。
あまりにもかいつまんでの説明となり、私自身消化不足をおこしているので、また次の機会にもっとビーズの歴史や魅力を発信したいと思います。
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